1. 5月13日にメキシコに入国しました。タバチネスの赤い花が地面に落ち、暑さと時差ボケで食欲がなくなったのです
2. メキシコはシティでは高度が1.9キロメートルあり、食事がおいしく感じないです。また睡眠が深くないのではと思います。アカプルコに2回行きましたが、シーレベルでは食事がおいしく感じられ、睡眠も深く感じられました。山の上に帰って来ますと、また同じ感覚になりました
3. 5月末に到着した頃から夕立が雷と共に発生して、スコールみたいな雨が降って来ました。郊外の放牧地では、馬が雨を歓迎しているようです。牧草地は緑に変わって行きました。雷と急な激しい雨は真夏には午後7時8時頃、秋には午前零時頃、晩秋には明け方になり、冬が来ますと乾季がやって来ます。乾季になれば、ブーゲンビリアの赤い花が咲き乱れて来ます
4. 雨は一年を通して昼間は降りませんでした。雨中ゴルフはやったことがありません
5. 冬は午前中は寒くなりますが午後は暑くなります。真夏の午後4時頃は最高に暑くなりますが、湿度が低いので、しのぎやすいです。夜は雷と道路が洪水の川になる激しい雨の後は、満天の星で寒くなります
6. 私が滞在していた場所はメキシコシティからハイウエイで1時間下った高度1.5キロメートルのリゾート地でした。この程度の高度ですとテニスができる高さです。車は左ハンドル車で、右側通行です。運転手は中央車線近くにいるとの認識が重要です。右折、左折で車線を間違えないことが肝心です。ワイパーとウィンカーが逆になっています。焦ると間違えます。オートマチック車でしたので、シフト操作は問題なかったです
メキシコシティからクエルナバカ間は三車線の高速道路で快適でした。途中ヘアピンカーブがありましたが、現在は旋回アールが大きく改善されています。私達の時代は下り線で、外側に弾き飛ばされて、崖に転落という事故もあったと聞いています。標識が速度落とせ,徐行(デスパシオ)と警告しているのですが、守らないと、崖下です。ガソリンスタンドでは「ジェノ、ポルファボール」(満タン)といつも言っていました
リゾート地のホテルにあるプール:後半の期間はこのホテルにお世話になりました
7. 休みはゴルフ三昧でした。夏には早朝から2ラウンド(2×18ホール)していました。現地の方は1ラウンド終わるとテーブルで何かに興じておられるが、日本人は暑いのにもう1ラウンドとなります。秋から翌年の春までは気候が最高に良く、気になるのはスコア―のみでした。夏休みに1週間休暇をいただき、各ゴルフコースを回りましたが、3日連続のゴルフで休みたくなりました。1日休むとまた3日連続のゴルフを楽しみました。池越えショートで、新しいボールを取り出すと、お子様キャディーが古いボールを私に「メホール;ベター」と言って差出してくれました。新しいボールでは私の実力では池ポチャで、もったいないとのことでしょう。私はむきになり、新しいボールは案の定池ポチャでした。周辺には池越え、谷越など、結構トリッキーなゴルフコースが多くありました
ゴルフ場で、イグアナに出会ったり、鉄砲の音がしたりします。キャディーに聞くと、コネホ(conejo;ウサギ)を取っているとのことでした
キャディーは小学生位の子供達で、私はハーフゴルフバッグの御蔭で、人気者でした。重いゴルフバッグは担ぐ子供達には人気がありませんでした。キャディーを途中まで車に載せて送ったこともありました。池で拾ったゴルフボールは私達の購入品として生まれ変わります。
サンガスパールゴルフ場アウト3番のショートホール:池、打ち上げ、打ち下ろしなどタフなコースです
1986年当時はコース周囲の木々は低い若い木々でした。2022年現代、グーグル地図で確認すると、周囲の木々は立派な大木になっている様です。しかし、小さな木でありながら、芯に当たり、跳ね返って来た苦い経験が蘇って来ます
8. 赴任し、アパートに入居しました。観音開きの窓を開け、風が強く吹いた時、窓が外側の手摺に衝突した瞬間に窓ガラスが割れました。夜に近かったのでカーテンを閉め、眠りにつきましたが、眠れず、天井を見ると蚊の大群でした。その蚊は刺す蚊ではなかったようです。翌日ガラス修理を朝アパートの管理人にお願いしました。その晩帰って見ると、窓ガラスは修理されていました。迅速な処置に感謝したものでした
最初にお世話になったアパートです。垣根はブーゲンビリアでした
9. 会社の食堂(昼食のみ)はフルコースということでした。好きなメニューは赤豆(インゲン豆)の塩味煮豆(フリホレス)をトルティージャで巻いたものでした。トルティージャには石灰が入っており、カルシウムの補給とフリホレスの豆で肝臓を強くすることで、健康に過ごせるシステムができています。現地食を好んで食することが重要です。お蔭さまで1年間無欠勤でした。水は十分沸騰させ、冷やして飲んでいました
10. 日曜日の夜のテレビは歌謡ショーが確か3時間以上あったでしょうか。男女入れ替わりで歌謡曲が聞けました。毎週紅白歌合戦でした。私はジュリーとかルシア・メンデス、ホセ・ホセの歌が好きでした。今でも時々聴いています。皆さん歌唱力は抜群でした
11. アカプルコに2回行きました。初回は確か11月頃でした。蒸し暑くて、長ズボン(パンツ)は穿けませんでした。シーレベルなので、食事がおいしく、睡眠も十分取れました。海辺でパラセーリングに乗りました。天候も良く、無事に着陸できました。上空では、海上なので距離感が分からず、高度の恐怖は感じませんでした。アカプルコへは車で5時間かけて下って行きました。アカプルコ直前で検問があり、突破しかけたら、銃口が向いてきました。急ストップして検問を受けました。麻薬のチェックだそうで、バスの場合は全員が下車し、手荷物検査があるそうです
12. 2回目はクリスマスタイムに行きました。シティから飛行機で下って行きました。飛行機も高度は低く飛んだのではないかと思います。海浜でも、プールでも爽やかで、前回と気候は大違いでした。ホテルの海浜で泳ぎ、プールで遊び、午後は闘牛を見ました。5頭(5回;1頭ずつ)の牛と戦うのです。舞台裏では殺された牛は肉にされていました。夜はケブラーダ(LA QUEBRADA)で飛び込み(先ず数人が低い位置から次々に飛び込み、メインイベントは100メートル?の断崖絶壁の上から一人が飛び込む)を観覧しました。7時頃〜8時頃に2回飛び込みショウがありました。食事をしながら、音楽を聴きながら、ショウが見れます
アカプルコのパラセーリングです。海上高く舞い上がっていました
アカプルコパラセーリング;パラシュートセット完了です
アカプルコパラセーリング;離陸完了、かなり上がりました
アカプルコの闘牛です(PLAZA DE TOROS CALETILLA):5回戦います。闘牛士は3つ役割があり、各々が分担します
13. 1985年9月にメキシコ地震に遭遇しました。朝食事をしていると横揺れが始まり、皆外に出ました。かなりのストロークで水平揺れでした。大木は激しく揺れ、プールの水は海の様に波立ち、水が溢れ、初めての体験でした。シティーの電話局が地震の影響で不通になり、日本との連絡ができなくなり、12月末頃まで不自由しました。シティーは被害が甚大でした
地震が発生する一週間前位から、工場に爆発物を仕掛けたとの脅迫電話があり、午後4時に毎日工場外への退避行動をしていました。生産を停止させ、全員が避難行動です。大変な被害でした。地震があったその日も、脅迫電話があり、皆一斉に避難したばかりのその夜、工場長に「電話は市内からではないか、市外通話は地震で不通となっているのだから」と伝えました。市内在住の心当たりを警察に伝え、対策を取ってもらったとのこと、それ以来脅迫電話は来なくなりました。工場長からお褒めの言葉をいただいたのは、この時が最初で最後でした
メキシコシティ南部近郊にあるソチミルコの水上遊覧です